絵を描くこと踊ること表現すること=魂の表現
そういえば、かなり前に金魚の絵を描いた。
そして数日前、海と月の絵を描いた
金魚の絵。
この絵を描いた時は自分が生まれ変わりそうで変われない、うずうずしてるかんじのとき。
だけどもう少しで道が開けそうな、そんなもどかしい時に描いたから、こんな絵になった。
桜はわたしの周りのステキな人たちで、そんなわたしを、いつもサポートしてくれる意味かな、感謝の絵。
金魚はじぶん。迷ってても大変なときでも、楽しいときでも、いつも輝いてるのだ。
そしてこれ。
月のパワーをうけてウネる海と宇宙へむかって飛んで行く金の鳥たち。
友達にこの絵を見せた時に、冷たさを感じるけど、すごくパワーがあって何かから解放されてる感じ、またはすさまじいパワーで押し上げられてる感じ、、、。
って言葉をもらったんだけど、まさにそういう感じの気持ちで描いた絵。
伝わりすぎてて鳥肌たったけどw
わたしが絵を描くときは、描きたいからじゃなくて描かずにはいられないから。
表現したいものが自分の中にあって、それが押さえられなくなって出したいとき。
描くか踊るかする。
本当どちらか。2択。
描くか踊るかしか、わたしに適切な表現方法がないらしい。
踊りも絵も、どんなふうになるのか初めから想像がつかなくて、終わってから完成したものを見て、自分でも ふーん、となる。
たまにすごく嫌いになってあとからすごく好きになったりする。
こんなんだから踊りと絵にはひと際、わたしの内側というか魂が現れるのだと思う。
それと同時に人が表現するものを見るのと感じるのが、とても好き。
なぜなら、言葉以上にその人のナカミが知れるから。
踊り、絵、タトゥー、文章、歌、DJ、楽器、などなど。
わたし/オレの魂ガチで出すからガチで受け取れ!
ってゆう表現が好きw
そのかわりそこまで沸点が達してないものに対しては、全てが透明に見える。
極端すぎて、清々しさすら覚える、自分自身にw
最近とても感動して、絵の前で立ち尽くしてしまい、涙が出るのをこらえるほどの絵に出会ったの。
鈴木其一の暁桜・夜桜図
あああ、これデータやPC画面じゃまったく伝わらないので、サントリー美術館に足を運ぶことをおすすめしますw
10/30までだけど、これが見れるのは10/10まで。
(展示替えがある)
桜を描いた絵はいっぱいあるけど、、
暁に見る桜、夜に見る夜桜、、、
そこに観点をおいたのと、暁・夜の対比の表現の仕方にきゅうううってなった。
自然の美しさに対する愛とか、それを感じられる其一の繊細さや感性をかんじた。
あーはやくまた見に行きたいな〜w
開催中あと、2回は行く予定ですw展示替えがあるからwww
ひとはもっと表現して生きたほうが幸せなんじゃないかな、みんなが。と思う。
第一の表現方法はことばではないもの。
その第一の表現をもっともっと繊細に鋭く感じられるひとになろうと思う。
そのためにはじぶんが毎日何回でも表現したい衝動に駆られるように、したいなあ。
(実際、毎日何回でも、はさすがに本気で死にたくなりそうだけどwww耐えられなくてwww)